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この人間社会で天使であり続けるには⇒恋・人間関係・心理・子育て

いじめの定義はコレだ!

あけましておめでとうございます<(_ _)>TAZUです😊

 

冬休みももうすぐ終わり、新学期が始まります。

 

新学期は、子どもが不登校になりやすい時期です。

長期休み明けで、ただ怠けているだけと大人は思いがちですが、子どもの登校渋りの理由は決して怠けているだけと決めつけるのは危険です。

 

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学校生活では、子どもの世界でも大人と同様かもしくは大人よりも非情な状況が日常的に起こっている可能性もあります。

皆が未成熟な子どもなので、状況が悪化してしまうこともあるということを、先生も親も受け止めなければなりません。

 

それを代表する問題がいじめです。

 

そこで今日のテーマは、いじめの定義について、分かりやすくご紹介していきたいと思います。

※あくまで私の個人的な見解も含まれています。

 

 

文部科学省によるいじめの定義とは?

 

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文部科学省では、いじめの定義を次のように位置付けています。

 

「いじめとは、肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力や差別、いやがらせ(被害者が精神的な苦痛や不快感を感じるすべての行為)などによって一方的に苦しめること」

 

 

また、いじめ防止対策推進法第4条にて、学校に在籍する児童または生徒の間でのいじめは禁じられていて、第26条では、加害児童等に対する懲戒処分・出席停止についても次のように明記されています。

 

「市町村の教育委員会は、いじめを行った児童等の保護者に対して学校教育法第三十五条第一項(同法第四十九条において準用する場合を含む。)の規定に基づき当該児童等の出席停止を命ずる等、いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を速やかに講ずるものとする

 

つまり、子供を学校教育に通わせることは、親に与えられた義務ですが、

その一方で、学校内でいじめを行ない、他児童に苦痛を与えた児童の親には、児童の学校への出席を停止させることが義務になる場合もあるということです❕

 

実際の学校現場では、親も先生もいじめのジャッジがうやむやになりがちですが、

文部科学省により、実はいじめの定義はここまでハッキリと明記されているんですね(・∀・)

 

 

◆実際の現場でのいじめ問題の現状は?

 

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文部科学省により、しっかり明らかにされているいじめの定義ですが、

実際の現場の学校では、いじめ加害者側がきちんとした形で罰せられるケースは少なく、いじめのトラブルが起きた際に、不登校や理不尽な立ち位置になるのは結局は被害者側のパターンが未だに定着しています。

 

なぜ、このいじめ防止推進法が実際の現場でのいじめ対策になかなか活かされないのかと言うと、様々な要因が考えられますが、おおよそは以下の4点が要因として挙げられます。

 

1.いじめ被害者側が折れてしまうことが多い。

2.いじめが現場の学校にて「いじめである」と断定されにくい。

3.いじめ被害者側は親子共に優しく、我慢強い傾向があり、遠慮しがち。

4.「される側にも原因はある」という見方が親や先生世代も根強く残っている。

 

かつては、「大人しくて気弱だからいけないんだ」、「嫌なら言い返せばいいじゃないか」「言い返さないからなめられるんだ」などと、いじめを受ける側の児童の性格を指摘する傾向がかなり強くありました。

 

しかし、人間の性格とは本来皆違って当たり前であって、はつらつとした人もいれば、おっとりした人もいて当然なわけです。

 

それを、なぜか大人しい性格の人が非難され、いじめをすることがダメだということ以上に、大人しい性格の児童を強くさせようとする動きの方に力が注がれる教育を、私たち親や先生世代の大人は子供の頃から目の当たりにしてきてしまったのです。

 

これこそが、いじめ防止推進法によるいじめの定義の考え方がなかなか浸透せず、未だにいじめがなくなっていかない大きな要因と言って良いでしょう。

 

いじめをストップさせるには、私たち大人が受けてきた教育は間違っていたと認め、新しい考え方に方向転換させることが大前提になります。

 

 


 

◆いじめの根源って結局なんなのか?

 

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なぜいじめが起こるのか?そして、なぜいじめが絶対NGなのか?

 

いじめは、いじめる側といじめられる側の価値観の相違によって起こります。

 

 

例えば、AさんBさんに対して悪口を言ったと仮定します。

Aさん

⇒遊びでBさんに対して❛悪口❜を言っていると思っていて、このやり取りが楽しいと感じている。

Bさん

⇒悪口を言われることに対して、不快に思っているし、このやり取りが苦痛だと感じている。

 

さて、これはいじめでしょうか?

それともAさんが遊びだと思っているのだから、いじめではないのでしょうか?

 

正解は、いじめです。

 

なぜかと言うと、どんなにAさんが楽しんでいても、Bさんが精神的に苦痛に感じているので、文部科学省によるいじめの定義通りに判定すると、いじめと断定できます。

 

子供の世界では、悪い言葉を覚えたてで、何の悪気もなくただ使ってみたいという意識によって悪口を発してしまうことがよくあります。

 

そして、それを本当に遊びだと受け止める子もいるかもしれません。

その場合は、同じ悪口を言ったとしても遊びとして成立する可能性はありますが、どちらかが苦痛に感じた時点で、それは遊びとしても成立していないことになります。

 

※こういった遊びの延長には、悪口の言い合いごっこだったのが結局どちらも不快になっていき、本当の喧嘩や言い争いに発展していく傾向が高いので、

そもそも悪口の言い合いごっこを遊びとして認めるかどうかは、大人としては考えていく必要があります。

 

上の例のようなケースは、いじめの発端としてよくありがちなパターンです。

 

そもそも、例のAさんとBさんは、人間関係として成り立っていません。

 

楽しいし遊びとしてやりたいと思っているのはAさんだけ。Bさんが賛同していないのにも関わらず、自分は楽しいからと続けようとするのは、身勝手ではないですか。

 

Aさんは、もっとBさんの意向に耳を傾けるということを学ぶ必要があるでしょう。

 

恋愛関係でも、友人関係でも、どんな人間関係であっても、自分の意見を主張するのと同じくらい、相手の言い分を聞ことも大切なコミュニケーション力の1つです。

 

 

このAさんによる❛遊び❜がどんどん進化していくことで、犯罪とも言わざるを得ない陰湿ないじめに発展していくというケースがとても多いです。

 

人をからかったり、いじめるのが楽しいという思考になってしまっていることが、人のモラルとして危険信号だということです。

 

 

◆親世代がいじめがあって当たり前だと諦めている

 

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学校でのいじめに関する問題は、今に始まったことではありません。

 

親世代が小学生だった頃は、いじめの問題がメディアなどでも問題視されるようになった時代です。

 

親も学校内にて、いじめを経験したり目撃してきているため、学校でいじめが行われるのが当たり前のように鼻から納得し、そういうものだと諦めてしまっている傾向があります。

 

そして、そんな子ども時代の経験を基に、どうしたらいじめに遭わないように回避できるかということを、経験を通じて培ってきているのです。

 

そのいじめられないための知識を、自分が親になった時に我が子に伝授している親がどれだけ多いことでしょう。

 

しかし、勘違いしてはいけないのは、

いじめの問題の多くは、いじめの加害者側の心理的要因が大きく影響しています。

 

嫉妬や人の上に立ちたいという優越感から来る人を見下す気持ち、八つ当たりなどによっていじめは行われているという事実から、先生や親たち大人は、目を逸らしてはいけません。

 

少なくとも、「いじめられる側に原因がある」などと、加害者側の言動の責任を、被害者側に責任転嫁するようなことがあってはならないのです。

 

悪口などの暴言や暴力を他人に向けるということは、相手を傷つけ、信用を失う可能性があるということを、子どもたちは覚えていかなければなりませんし、

大人も放任せずに伝えていかなければなりません。

 

それこそが、「大人が子どもたちを育てていく」ということではないでしょうか。

 

皆さんは、いじめの問題をどのように考えますか?

最後まで読んでいただいてありがとうございました🙇

 

            TAZU💛